若かりし頃、「デザイナーw」って思っていました。
あの当時、デザイン科といえばおしゃれなかっこをしていて、iPodに刻印しちゃったり、イケイケなイメージ。
我々絵画系とは完全に別の世界の住人だと思っておりました。(筆者は絵画系出身のため)
作るものはきれいですが、心が持ってかれるような感覚になる作品はなく(ろくに見ていなかったかも・・)、デザインってなんだろう、デザイナーってなんだろう・・と。絵画って、自分の気持ちや考えを表現することができるので、デザインの人たちは、なんで自分を表現しないのだろうと常日頃考えていたものです。
さて、あっという間に16年の月日が過ぎ、現在開発会社でデザイナーをしている私wです。
むしろwの位置は変わり、「現在開発会社でデザイナーをしている私wです。」でしょうか。自分に対してのwポイント増加中ですがデザイナーにはなくなりました。
なぜ、「デザイナーw」じゃなくなったか
昔って、「ものつくり」=「自己表現」だと思っていたんですね。
「絵画って、自分の気持ちや考えを表現することができる」って言いましたが、逆を言うと外部っていなくても成立するんです。(モチーフや表現先としてはいるかも)
だから、最大限自分の心をさらけ出したり擦り切らせたり、傷ついたり喜んだり、そういうMax値が必要で、ものづくりと作品作りはイコールではなく・・。「作品作り」=「自己表現」ではあるかもしれないけど。
で、デザインでいうものつくりはなんだろうってーと、
「ものづくり」=「実現」
デザインって、他者ありきなんですよね。むしろ、他者しかいないw。Max値とか出されると困っちゃうw。とても客観的である必要があります。
自分は出さず、他者と他者をつなげて実現するのがむしろお仕事というか。
例えば、お客さんと開発者をつないだり、サービス提供者とユーザーをつないだり、きれいに・おしゃれにレイアウトすることは仕事の一部分でしかなく、大部分はわかり易さや使いやすさを考えたり、ひととひとを繋ぐことが重要で。ただ繋ぐだけなら透明人間になればいいんですが、むしろ通訳したり変換したり、改良したりしながら繋いでいくので結構骨が折れる・・。
そんなことを日々やっていると
「デザイナー」って面白いな、と思うようになりました。
いろんな情報に関わったり、いろんな目線を体験したり、いろんなものをつなげたりできるので、自分は開発会社のデザイナーに向いているのかもしれません。
ぜひ若いデザイナーの方にはデザインを広く捉えて欲しいなと思います。
ビジュアルをきれいにすることが好きでデザイナーになる人も多いと思いますが、決まったやり方で整形するだけならロボットやオペレーターで十分かもしれません。自分にしかできないやり方を見つけれれば、長く続けられる仕事だと思います。
あ、そうそう、「ものづくり」=「実現」のスタンスでやる場合の大きな注意事項があります。この場合「誰か」の実現したいことを表現することが多くなるとは思うんですが、ここで、「人のせい」にするのは絶対にダメです。あくまで、「誰かのために、自分の能力・思考・技術を使って、責任を持って表現する」のがデザイナーです。ここんとこ履き違えるとこじらせて人間社会で生きていけなくなるのでお気をつけください!!!
実際、考えと基礎力と吸収力があれば、どうにかなるw。
これらは私の「デザイナー像」です。皆さんもぜひ、自分の「デザイナー像」見つめて見てください。
以上、そんなお話でした。